シティポップと横浜ソングを比較
共通しているのは洋楽への憧れから誕生した
シティポップは冒頭でも述べたように、70年~80年に日本のR&B、ソウル、AORなどの洋楽要素と日本の歌謡曲の要素が組み合わさり発展しました。アメリカのフォークソングや在日米軍が影響をもたらした説があります。
横浜ソングは、神奈川全般をみるとサザンなど音楽ジャンルもさまざまですが、歌謡曲以外にもブルースのイメージがあります。「伊勢崎町ブルース」が有名な横浜ご当地ソングになってるのも有名な話しです。ブルースの女王の淡谷のり子が歌う「別れのブルース」は本牧を舞台にしたブルースと言われています。
街と海への憧れ
横浜は港や湘南があるのでそういう場所が歌詞がでてくることは想像できますが、東京が舞台のシティポップも海や港が歌詞にでてきます。シティポップで有名な大滝詠一のジャケットに海のイラストがよく使われていてより海のイメージがあります。
シティポップのブームは70、80年代に起きて、バブルの時代とかぶります。バブル時代の平日都会暮らしで休日に海にいくというリッチな生活がまさにシティポップに投影されています。その影響からか街と海のイメージがあります。
歌詞で表現される場所が違う
単純に場所の違いがあります。シティポップは東京の中という説と東京とその周辺といわれている説があります。また、前述でも述べたように具体的な地名が入らなくても、都会さがあればシティポップと言われることがあります。それに比べ、横浜ソングは「横浜」とワードが入るだけのこともありますが、横浜の具体的な地名が入ることが多いです。
この記事を書いたのは
#シティポップ#citypop#横浜ソング#横浜ご当地ソング#プラスティックラブ
コメントをお書きください