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シティポップと横浜ソングはどう違うか

シティポップ、citypop

前回、横浜に旅した時に横浜ソングを集めたのを参考に記事を書きました。

そこで、色々調べている時に疑問に思ったことがあります。

 

「シティポップと横浜ソングはどう違うか」

 

シティポップはすごくシンプルに表現すると東京周辺を舞台にした曲、横浜は横浜を舞台にしている曲。歌詞に地名がでてくる場合とそうでない場合があります。東京周辺というと横浜も入るのか?さらに楽曲を聴いて比較してみると似てるようで何かが違う。

シティポップとは

まず、シティポップとは何か。

iTune のシティポップのプレイリストの概要にはこう書かれています。

 

1970年代半ばから1980年代にかけて、フォーク、ロックからニューミュージックへと連なるシーンで誕生したシティポップ。ソウル、ディスコ、ジャズ、フュージョン、AORといった洋楽にルーツのあるサウンドを日本語による都会的なポップスとして洗練させながら発展した音楽全般を指す。その動きは1981年の大滝詠一の大ヒットで隆盛を極め、それ以降のJ-POPや渋谷系の時代にも形を変えて受け継がれていく。2010年代には竹内まりやをはじめとしたメロウなグルーヴを持つ楽曲が世界レベルで高評価を受けるようになった。さらに新世代アーティストが次々と台頭するなどシティポップは絶えず進化を続けている。

 

-引用 iTuneプレイリスト「シティポップベスト」

 

例えばこんな曲があります。

「プラスティックラブ」竹内まりや

1984年にリリースされたシティポップを知らない人でも知名度の高い曲。近年海外から反響があった曲で、Youtubeの再生回数が増え再評価された曲です。このMVは近年の再ブームにより、楽曲はオリジナルのままで、新たにMVのみ作られました。

「真夜中のドア ~Stay With Me」

1979年リリースの曲でこちらも現代の「シェア文化」で近年再ブームした曲です。

シティポップはアメリカのフォークソングや在日米軍が影響をもたらした

シティポップは必ず歌詞に地名の要素が入るわけでなく、「東京」と歌詞に入ってる曲があれば、都会的なワードが歌詞に入ってる曲もあれば、歌詞に要素はなくてもサウンドがシティポップっぽい曲もあります。

 

シティポップは冒頭でも紹介したように70年~80年に日本のRB、ソウル、AORなどの洋楽要素を取り入れていて、アメリカのフォークソングや在日米軍が影響をもたらした説があります。戦争は日本に大きな影を落としたけど、一方で音楽は日本人は洋楽への憧れがあったことが伺えます。

 

 

また、最近のSNS文化により海外で再評価されたのがきっかけで、日本にリバイバルされています。